追悼/馬なりの大恩人
「馬なり」の愛読者の皆様にどうしてもお知らせしておかなければならないことがあります。
7月初旬、双葉社の編集者であった郡修さんが亡くなりました。まだ49歳という若さでした。この方は「馬なり」が今あることの大きなきっかけを作ってくださった方です。当時、週刊競馬報知で連載されていた「馬なり」を競馬好きな郡さんがずっと愛読してくださっていて「ウチで単行本にしましょう」と声をかけてくださったのです。マンガなど描いたことがなく、マンガ本の出版についてもマンガ家としての活動のし方も何もわからない私を、単行本化・週刊漫画アクションでの連載・webへの移行、いつでも「そのままやればいいよ」とゆる手綱で自由に走らせてくれました。近年はファッション誌の編集長をつとめておられ、直接の関係は細々としたものになってしまっていましたが、時々双葉社を訪れる時には顔を見に出て来てくださって、いつでもそうして見守ってくださっていることが心強く、心のどこかで拠り所になっていただいていました。父の葬儀の時にもご多忙の中を駆けつけてくださいました。去年の年末に「来年は午年だからウチの雑誌の年賀状にイラスト使わせてくれない?」とお電話があったのがお話しした最後になってしまいました。この人が「馬なり」に目を止めてくださらなかったら「馬なり」の今はなかったと思います。私も今のように幸福な、やりたいことをやれる人生を歩めてはいなかったと思います。私の、そして「馬なり」の大恩人です。だから、この人の名前とこの人の功績を「馬なり」の読者の皆様には知って欲しいのです。この人を失ったことが悲しくて辛くて、胸が塞ぎます。見上げるほどに背が高く、とてもオシャレな人でした。帽子やサングラスやPRADAの靴など故人の愛用品が展示されたお葬式にはたくさんの人が参列し、幅広く華やかな人脈からのお花が並び、祭壇は白い花で競馬のコースと馬が形作られていました。亡くなるギリギリ前まで馬券を買っていたそうです。本当に競馬がお好きだったんですね。担当をしていただいてた時、毎週「コオリですけど」とちょっと早口で電話をかけてきてくれた声とその口調が今もクッキリと耳に残っています。大切なかけがえのない人を喪いました。ただただご冥福を祈りながら、これからも「馬なり」を私なりに続けて行くことが一番の供養だろうと心を奮い立たせています。
今週は予想はお休みです。ごめんなさい。
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