諧謔の難しさ
以前観た「善き人のためのソナタ」という映画がとても良かったので、その主演俳優・ウルリッヒ=ミューエの「我が教え子、ヒトラー」を観て来ました。彼は去年の夏、惜しくも54歳で亡くなっており、これが遺作となってしまいました。静かな眼差しが印象的な良い俳優だったのに、残念なことです。さて、その遺作。第二次大戦も末期、ナチスドイツの指導者・アドルフ=ヒトラーはすっかり自信を失っており、彼に自信を回復させ国民を鼓舞する演説をさせるために収容所からユダヤ人俳優が演技指導のために呼ばれるという皮肉な設定で、ヒトラーを徹底的に笑いのめす喜劇です。映画の中のヒトラーは惨めで滑稽で、すべての失敗を恐れてジタバタする姿は下手をするとかわいく見えたりもします。戯画的に面白可笑しく描き出すことで却って貶める、それが自身もユダヤ人である監督の仕掛けであることはよくわかるのですが、どうなんだろう…日本人にはこういう狙いの方向性ってどこで笑えばいいのかわからないんじゃないだろうか。客席もほとんど笑っていなかったし、私も「これ、笑っていいのかなぁ、面白いか?」という戸惑いが常につきまとって心から楽しむことができなかった。皮肉というのはその対象についての共通認識があってこそ通じるものだから。ミュージカル「プロデューサーズ」もユダヤ人中心の制作者陣がヒトラーを徹底的に笑い物にするという点では同じ図式で、あそこまで突き抜けてくれれば一種の爽快感があるんだけど。悲壮で背筋が寒くなる結末と作品全体にちりばめられた落とし処のわかりにくいユーモアとをどこで折り合いをつければよかったのか、困惑してしまった。ただ、ウルリッヒのあの印象的な目とたたずまい、リアリティのある人物像、笑わせたりハッとさせたりの中でふと人生の深淵について考えさせさえするほどの幅のある演技力はやはりグッと引きつけられるものがありました。この俳優の存在を知ることができて良かったと思っています。
さぁ秋競馬。京成杯AHはクーヴェルチュール+キストゥヘヴンの牝馬コンビで行きます。セントウルSはカノちゃんことカノヤザクラにがんばってほしいなぁ。月曜の朝日CCはドリームジャーニーを頭にアドマイヤメインとエリモハリアーへ。
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